<教育を知る>高校生未来プロジェクトに参加して

2012年12月26日(水)~27日(木) に、

『高校生未来プロジェクト-「学び」がボクらを、社会を変える ワークショップ-』
http://benesse.jp/berd/hirakemirai/index.html

のお手伝い、見学をさせていただいた。

このワークショップは、高校生が自分なりの「勉強」の意味や目的を持つことを目的に1泊2日で、講演を聞いたり、ワークショップをしたりするプログラムである。

厳正な選考をえて北は北海道、南は鹿児島から集まった高校生の知的レベルは高い。議論の質が高い。僕なんて、ダブルスコアの年の差を越えてすぐに論破されそうである。

プログラムの特徴としては、講義も含めて、いわゆる座学型の授業ではなく、講師との対話、高校生同士の対話を重視したインタラクティブなやりとりで進められていく。

講義は、元東大・現オックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏が行ったのだが、こんな授業今まで出会ったことがなかった。感動を超えて、感激した。

身近なテーマを例にスタートして、世の中の大きな問題に目を向けさせ、学問とか知識の偉大さを熱く語っていた。その言葉、ストーリー、アトモスフィアに惹きつけられる。
この授業にもっと早く出会っていたら自分の人生は変わったのではないかというほど衝撃的だった。

でも、学生の頃の自分なら、響かなかったかな。

苅谷先生の講義は、真理を探究するという研究者としての原点を大切にしながらもその知を活用し社会の問題を解決する、そして、蓄積した知を次世代へ引継いていくという、研究者、教育者としてのパッションに満ち溢れたものだった。

うまく言葉で表現できないので、最後に箇条書きポイントを記しておきます
(理解が足りない部分も多々あります)

これらプログラムを通しての学生の変化については、このプログラムを見学に北海道から来られた 高校の先生の言葉が全てを物語っている。

プログラム終了後に、突然私の方によってきてこう言われたのだ、

「生徒の顔が最初に来た時と、終わってからでは全く違う。最近の若者は自分の思っている事を人前では話さないと思っていたけど、みんな立派に話しをしている。私は勘違いしていました。生徒は話さないんじゃない、大人が話す場を提供できていないんだということに」

苅谷先生は、最後のメッセージでこのような素晴らしい変化を遂げた学生のことをほめながらも、

「君たちの知識はまだまだ全然足りない。想いだけで語っても説得力がない、議論が深まらないんだよ。想いは蓄積しないんだ」

と語られた。

これは、今回のプログラムはあくまできっかけであり、これを機会に「学ぶ」ということをもっと深めていきなさいという学生への応援メッセージだと僕は感じた。

今後の高校生の意識変容、行動変容については定期的にウオッチして、今回のプログラムのどの部分が、どのようにして高校生の変容に繋がったのかを分析するということだ。再現性を持ったプログラムにするためにも非常に重要なことである。

最近強く感じるのは、「場」、「きっかけ」の重要性、必要性である。

「ゆとり世代だから・・」、「最近の若者は・・」、「言われたことしかできない・・」、
大人は若者にレッテルをはりたがる。自分の無力の言い訳として。

若者は「きっかけ」さえあれば変わるのだ、いや、変わるのではない、本来の自分を出すことができるのだ。

教育機関で働くものとして、子供を持つ父親として、このことを胸に刻もうと思う。
オックスフォード大学教授 苅谷剛彦氏の講義メモ

・いくつかの具体的事例を抽象的に概念化し、その概念を皆が共有することで議論の前提を揃える。その前提を踏まえ、様々な人の間で議論、思考実験を行い、理論化を進め、その理論を他の具体的場面で活用し、新たな問いが生まれる。これこそが大学で行う学問である。これは、誰でも議論に参加できるという開かれた場であると同時に、概念の定義を理解し共通認識を持った人のみが議論に参加することができるという閉じられた場でもある。

・数千年に渡り人類が蓄積してきた知識、1000年に渡りOxford大学で概念化された知を、次の世代へ引き継いでいく。知識を伝えたうえで、それを使ってくれる人を育てること、そして知識を作る人を育てること。それがOxfordの教員のの使命である。

・これまで人類が培ってきた知の蓄積に触れないなんてもったいなすぎる

・日本だからできること

世界でも有数の科学技術力をもった経済大国、世界でも有数の難しい言語を国語にしている非西欧圏で最初に豊かになり、産業化に成功した、60年以上戦争をしていない平和な国

・日本に生きる以上は、受身であれ、主体的であれその社会に参加していることに変わりはない、どういう形で自分は参加するのか

・高校でなぜ勉強するのか?そんなことわかるわけない。高校生は社会的責任を与えられていないのだから、世界の問題に触れる機会がないんだから仕方ない。高校での勉強なんて、人類の知の蓄積のほんの一端に過ぎないちっぽけなもの。それくらい学んでも損はないんだよ。

・知識に罪はない(生徒が興味を持たないのは教える人の問題)

・オックスフォードの入試はディベートする力をみる試験。Oxfordの教員が面接をするが、その採用はいたってシンプル。面接官の主観で決める。日本であればアンフェアであると大問題になるがイギリスでは問題にならない。なぜか?Oxfordの教員は社会から、学生から、保護所から信頼されているから。

・エリート社会を許容する、その変わりエリートは社会に対して何を貢献できるかを考える。それがイギリスの社会

・Oxfordでは、各国の様々な問題を持ち寄り、教員と大学院生でソリューション創出のための議論をしている。そこは世の中の問題を俺が解決するのだというパッションにあふれている。

投稿者: Yoshitomo-blog

健全なる批判精神を身につけたいと考えブログを書こうと思いたちました。 社会全般、キャリア教育、子育て等を中心に徒然につづりたいと思います いつまで続くかはわかりません。

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