<子育てを知る>遊び

ヨハン・ホイジンガは「遊びは遊びのためにある」「遊びはヒトの本質である」、と言い、政治や戦争すらある意味遊びであると主張した。(『ホモ・ルーデンス』高橋英夫訳,1973)

ボストンコンサルティンググループ、アクセンチュアなどでコンサルタントとして活躍し、現在はK.I.T.虎ノ門大学院主任教授の三谷宏治は、ヒトが最大限の創造性を発揮し、熱意を持つのはまさに遊びの領域であり、それがいわゆる仕事であっても勉強であっても同じである。逆に言えば、子ども時代の遊びが、将来への訓練として重要であると主張した(『お手伝い至上主義でいこう!』三谷宏治,2011)

僕は田舎の新興住宅地で育ったが、そこには建築現場、公園、雑木林など子供にはたまらない遊び場がたくさんあり、そこで同じ世代の子供たちが集まり、警ドロ、かくれんぼ、鬼ごっこ、野球、ドッチ、サッカー、手打ち、基地作り、探検、ザリガニとり、などなど 毎日遅くまで、学年の枠を超えて子供たちだけであらゆる遊びに興じた。

遊びの中には、暗黙のルールがあり、ルールが無い場合は、その場でルールを考えたり、修正したりし、そんな中で新たな遊びが生まれたりもした。

遊びはPS(プレステ),DSのような親から与えられたものではなく、自分たちが考え、発展させていくものだった

だから面白かったし、時間を忘れて遊びに没頭した。

僕の人生最高のときである(小学校低学年)。

それからはずっと人生下り坂だ。

今、僕は娘にそんな遊びの場を提供できているだろうか。

イミング、英語などの習い事で子供から創造的に遊ぶ時間を奪い、遊び道具もDVDやI Padなどで安易にすませていないだろうか。意識してできるだけ創造的な遊びをするようにはしていたが反省するところが多い。

仕事も同じである。

電通鬼十則 には、「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない」と書かれている。

リクルートの経営理念は 「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である

自分で企画提案し、実施する仕事はやっぱり純粋に楽しい

もちろんその分責任も生じるから大変だけど 

“生きてる” って感じがする

これまで以上に、娘には自ら考え、集中し、創造力を発揮できる場を与えていきたいと思う。

DSでそんなゲームないかな。

投稿者: Yoshitomo-blog

健全なる批判精神を身につけたいと考えブログを書こうと思いたちました。 社会全般、キャリア教育、子育て等を中心に徒然につづりたいと思います いつまで続くかはわかりません。

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