<社会を知る>立教大学野球部優勝で感じた東京六大学野球のコンテンツ力と母校愛

立教大学野球部が東京六大学野球で今世紀初の優勝、更には全日本大学選手権で半世紀ぶり(59年ぶり)の優勝を果たした

それに伴い、立教大学野球部の祝賀パレードが6月12日に行われ、JR池袋駅から立教大学池袋キャンパスまでの約1キロの沿道に、約5,000人のOB・OG、学生、教職員、地元関係者が駆けつけた。

19055081_1422069857872676_7776710991745291607_o
盛り上がるパレード

まずは、野球部の部員に「感動をありがとう」と伝えると共に、個人的に感じたことについて2点ほど記したい。

東京六大学野球のコンテンツ力
広告効果は60億円(『箱根駅伝』,生島 淳,2011)と言われているように、大学スポーツのコンテンツで言えば箱根駅伝が圧倒的な力 を持っているが、東京六大学野球のコンテンツ力も相当なものであるということに気づかされた。

関西出身の僕は、東京に出てくるまで箱根駅伝も東京六大学野球もほとんど知らなかったし、今でさえ、正直言うと 興味があまりない(なぜ東京ローカルの大会が注目されるんだ!という関西人特有のひがみも潜在的にあるのか・・)

しかしながら、関西の大学スポーツで優勝パレードをするという話しは聞いたことがないし、箱根駅伝や東京六大学野球のような大学スポーツコンテンツは他にない。

六大学野球のブランド力(100年以上の歴史)

×

 希少価値(立教大学の優勝)

がなせる業なのだ。

立教野球部の優勝を通して、普段はバラバラの人生を送っている約5000人が大学に集まり一つになる。

祝賀パレードでの「学生」、「OBOG」、「教職員」、「地域」の一体感は素晴らしかった。

 

パレードでは様々な場面に遭遇した。

・「立教に入って本当によかった」と喜んでる学生がいた。

・いつも、後輩支援で協力してくださるOBの方は、「この日に合わせて退院してきた。このタイミングで見れるなんて感激だよ。こんな日がくるなんて」涙ながらに語ってくださった。

・付属中学野球部のお母さん方は「息子達も将来あの車に乗れるといいわね」と話している。

・通りすがりの若い人が「街に愛されすぎ」と呟いていた。

DCNBHz2UMAEqcKj
行政、企業、商店街の方々、様々な人々の協力によりパレートは行われた

それを見て、僕も嬉しかったし、東京六大学野球、そして立教大学野球部は大学として絶対に大切にするべき存在だと感じた。

母校愛の力
一方で、嬉しいだけではなく、羨ましいとも感じた。

同僚には多くの立教卒がいる。特に私の部署は卒業生が多いのだが、皆の喜びぶりが半端ないのだ。

・全日本大学選手権の決勝戦を観戦した複数の同僚が号泣していた

・いつも冷静沈着、どちらかと言えば斜に構えて人と群れない若手職員が、FBで「ウエイウエイ」を連発した投稿をしている

※ウェイウェイ(『パリピ経済』,原田曜平,2016):若者が集団で騒ぐさまを、若干の自虐(もしくは軽蔑)をもって形容する擬態語

・昼休みに喜びを爆発させる職員がいる(下記写真参照)

IMG_601411

 

僕はこの職場で働いて8年、「卒業生ではない」ことに違和感を感じたことはなかった(鈍感なのか)。

むしろ8年間立教にいるんだから、4年間しかいなかった学部卒業生よりも立教愛があるとさえ思っていた。

初めて、卒業生としてこの職場で働く同僚のことを羨ましいと思った。

僕は試合を見て泣けなかったし、「ウエイウエイ」と投稿もできなかった。ましてや、あんな恥ずかしいかっこで写真は撮れない(上記写真参照)

18~22歳、青春真っ盛りの4年間を過ごした場所は特別 なのだ。青春を過ごした場所を職場にできる同僚達を心底羨ましいと思った。

何十年立教大学で働こうと、僕は卒業生と同じように立教大学を愛することはできないと思う。

 でも、

学生にとって特別な4年間に関わるものとして、立教愛ではかなわなくても、学生愛だけは負けないようにしたい。

※1枚目写真:(C)立教スポーツ

<自己を知る>ゼミ協力で学んだこと

経済学部2年・3年生のゼミで授業協力をする機会があった。

大学院の授業で研究費獲得に関する話しをしたことはあるが、テーマ自由の授業協力は始めてだったのでどうしたもんかと悩んだ。

テーマ:社会の変化を楽しむには

「変わらない理念が立教を変えていく」という名キャッチコピー(私はそう思う)のように、変えてはいけないものもあるが、変化に対応していかざるおえない時代であることも事実だ。

このテーマをベースに何度か学生と打合せを重ね、まずは自分にとって身近な内容から入り、少しずつズームアウトして大きな視点で議論できるように各セッションのテーマを設定した。

最後のセッション「社会の変化に対応するために、どのような能力が必要か」で、各グループの総括として以下のような発表がされた。

・社会の変化に対応するには、柔軟性、協調性、実行力が必要である

・最初は、会社のシステムに乗って仕事をこなしていくことも必要だが、目的をもって働くことで、他の人にはない自分のよいところを磨き代替できない人材になれば、リストラ等の大きな変化にも対応できる

・マクロ:未来の社会状況を予測し先回りする能力を持つ人材、ミクロ:会社の中でユニークな人材

こちらの想定していた結論ではあったので安心した。しかしながら、どこか引っかかるところがあった。そして、最後のグループの発表でこういう意見がでた。

・予測できないこともあるし、起こってしまったことは仕方ない。起こったことをどうこう言うよりも、変化を前向きに捉えよう、時にはなんとなく流れに乗るのも必要。

この意見に安心した自分がいた。以前、教育学科の教員と話していた時に言われた言葉を思い出した。

「学生に答えを教えては(誘導しては)ダメなんだよ。ゼミでは、学生達に具体的なアドバイスではなく、抽象的なアドバイスをする。学生はそのアドバイスに戸惑うし、「何を言ってるんだ?」と混乱するよ。それでいいのよ、そこで各自が改めて考えることが重要なの。そこで考え出した答えは、学生一人一人が違う多様なものになるからね」

私は、皆が同じ方向に熱い想いをもって切磋琢磨する集団が好きだ。一方で、そういう集団を少し気持悪いと思うのも事実だ。

※僕はポケモンgoを楽しんでいるが、深夜に芸劇前に人がたむろしてるのを見るとある種の怖さを感じるのと一緒かな

 今回の授業では、何を言っても許される安全安心な場作り学生に思考させる問いかけ、どちらも出来ていなかった。

自分自身のふり返りをしっかりしないといけない。学び多い授業協力だった

<関連する書籍> 

今年読んでもっとも衝撃を受けた本

「強者ではなく、変化に対応できた者だけが生き残る」から、「変化に『先回り』した者のみが生き残ることができる」時代だといえるでしょうp14-16

未来に先回りする思考法/ディスカヴァー・トゥエンティワン

¥1,728 Amazon.co.jp

<自己を知る>社会人としてのアイデンティティー

僕が現在働いている職場には12人の正社員がいるが、実にその7割は転職組で、それぞれのバックグランドは様々である。

ンクタンクのコンサル、SE、銀行の営業、自動車メーカーの調達部門、生命保険会社の拠点長、TV製作会社のディレクター(D)、小学校の英語の先生などなど。

皆、それぞれ仕事のやり方、進め方に特徴がある。

 

・元シンクタンクのコンサルは、思考の深さが半端ない。1つの提案をするのに、20年前から現在までの関連する会議議事録を全て読み込み、競合20校の先行事例を調査し、プロジェクトに関わる過去10年分の新聞記事を検索、蓄積しエビデンスを整える。

・元シンクタンクのSEは、どんな仕事をするにしてもガントチャートを作り、スケジュール管理をきっちりとしながら進める。プロマネの申し子のようなタイプだ。

・元銀行の営業マンは、個人プレーでがんがん仕事を進める、スピード感のない組織にあってその推進力は目を見張るものがある。これはイケイケのS銀行だったということもあるだろう。

・元自動車メーカーの調達部門担当者は、業者選定を入札方式で丁寧にきっちりと行う。随意契約を絶対に許さない。

・元生命保険会社の拠点長は気配り、根回し、ファシリが上手で、会議前に全ての合意をほぼ終え、数十人規模が参加する会議の運営を円滑に回す。

・元製作会社Dは、行動力とスピード感があり教員の懐に入るのがうまい。生放送での瞬時の対応と、インタビュー取材などで相手の本音を引き出す経験からえたスキルだという。

 

これは、もちろん、個人のパーソナリティーも影響しているが、新卒で入社した会社の影響が非常に大きいと感じる。

 

有名なロレンツの刷り込み(インプリンティング)である。

 社会学者クルト・レヴィンはB=f(P・E)という公式を提唱した。Bは行為、Pは個人、Eは環境。個人の行為は個人的特性とその個人を取り巻く環境特性との関数である。(キャリアカウンセリングとは何か,JCDA,2010)

会社の根底に流れる基本的な仕事の仕方(文化)、仕事に向かうスタンスというのは、同じ会社であれば、どの部署でも共通点がありそれが自分の仕事に向かうスタンダードになる。

僕は田舎の1支社の配属であったが、上司に毎日しばかまくってN社魂を叩きこまれた。
想像を絶するほど仕事ができなかった僕も、2年もしばかれ続ければある程度その文化に染まるものである。
「事前の根回しを徹底すること」、「やると決めたことは徹底してやること」、「上司の意見を最大限尊重しながらも自分の意見は言うこと」など学び、その経験は今も大変役立っている。
今の職場の文化を大切にしながらも、N社で学んだ仕事の仕方、社会人としてのアイデンティティーは大事にしたいと思うし、恐らくこのアイデンティティーは一生なくならないだろうとも思う。

 

職場の上司からは、『仕事資源』、すなわち、仕事のやり方、進め方などで影響を受け、同僚(同期)からは、『自己資源』、すなわち性格特性や生き方で影響を受ける(若手就業者のキャリア発達と職場構成員との関係性に関する探索的検討,正木,2011)

 



という研究結果もある。

今の自分があるのは、当事僕をしばきまくってくれた上司と、そんな上司への不満をお互いに愚痴りながらも、未来の会社、生き方、愛、ドキドキ、女性、女、性について熱く語り合った同期、先輩のおかげである。

感謝してもし尽くせない。

<自己を知る>挫折 とゴキブリ

思い起こせば、僕の人生は挫折の連続である。

<小学校>
小学校のテストはいつも100点で自分は天才だと思っていた。中学受験のため小学3年生から、友達5人と一緒に塾に通い始めた。その友達のうち2名は灘、2名は甲陽、そして僕は相当ランクが下の関学へ。

人には努力ではどうしようもない能力の差があることを知った。

<中学校>

小学校では走りも速く、体も大きかったので自信をもって花形のクラブへ入部。中学で身長は止まり、小学校の時は恵まれた体型だったから運動神経がよいように見えただけであることが判明。

自分は運動神経が悪いことを知った。

<高校>

高校では心機一転ラグビー部へ所属。腐っても花形クラブに所属していた自信から、すぐに活躍できると思っていた。3年の最後の大会では、1年生にレギュラーを奪われ試合にでれず。

自分はアスリートとしての適正がないことを知った。

<大学>
懲りずに大学でも体育会ラグビー部へ所属。4年の時に部員数の関係でパートリーダーになった。

同じポジションの後輩から

「林さんのようなしょぼいプレーヤーにはついていけない。これからはあなたの指示は受けない。

おまえら(他の後輩)もこんな人の指示を受ける必要ないぞ」

と言われた。

これほど屈辱的なことを言われても、奮起できずレギュラーに定着することなく引退。

自分は何かを徹底的に突き詰めることができない人間だと知った。

<社会人>
大手生命保険会社へ入社。ラグビーできつい練習に耐えた精神力があるから活躍できると思っていた。仕事ができなすぎた。人生でこれほど怒られたことはない。これからもこれ以上怒られることもないだろう。営業でない、企画・事務の仕事でこれほど怒られたのは同期でも僕くらいだろう。

3年目の異動で出向。もちろん希望はしていない。

社会の厳しさを知った。
<社会人2>

転職した。大手企業で勤めていたプライドもあり活躍できると思っていた。

打合せ、議論のスピード(論理の組み立て、思考のアウトプット)に全くついていけなかった
自分の頭の回転の遅さを知った。

 

・これらの挫折から帰納的に見えてくる自分のキャラクター

・こんな人生なのに、前向きに生きている理由

・まだこの世に存在できているわけ

 

それを、学生時代の友人はこう表現した

 

「ゴキブリ並みの生命力」

 

日本に隕石が落ちても「ゴキブリ並みの生命力」で生き残りたい。

 

最後に、今も前向きに生きている理由が一つあるとすれば「挫折」を「挫折」で終わらせず、自らの成長の機会と前向きにとらえて、乗り越えてきたからだと思う。

 

神谷・伊藤(1999)によると、挫折を乗り越えた状態というのは、挫折経験に伴うネガティブな感情がなくなり、「今ではいい思い出である」「今思い出してもなんとも感じない」と判断するようになるということと定義されている。

 

 

また神原(2009)は、「挫折」という経験を受入れるだけではなく、それに対して何らかの肯定的な意味づけを行っている状態も、「挫折」を乗り越えた状態として考えられると述べている。

 

挫折の後にすぐにあきらめず、辞めずに、なんとか踏みとどまった。

自分は能力がないことを認めたうえで、自分ができることを考え自分なりの居場所(自分、組織の双方に価値を提供できるポジション)を確保してきた。

もがいた、 何も持ってないからそれしかできない。そうしないと自分の存在価値はない。

もちろん乗り越える過程で、逃げたり、友人に助けられることも多かった。

挫折があったからこそ今があるし、成長できた。

最近は、ぬくぬく している。

そろそろ大きな挫折が必要だ。